最近、夜は全く眠れなくなってしまいましてね。感情的には興奮と不安の真っ只中の毎日。
でも寝なきゃ、寝なきゃと思ってた矢先、こんな記事を目にしました。
被害者意識にまみれず、本質的な仕事をすべし。田端信太郎が回顧する「20代の働き方」|ブラック企業の定義ってなんですか?おれの考えで、あえて抽象的な定義をすれば、「社員が被害者意識を持って、やらされ感で働いてるのがブラック企業」じゃないですか。 https://t.co/KtfEvkDGaN
— 田端@「ブランド人になれ!」Amazonビジネス実用でセールス1位 (@tabbata) 2018年8月6日
田端さん自体はよくTwitterで見かけていたものの、実際に会社でどんなことをやっていたのかは知りませんでした。
ただ、この記事でわかったことはとにかくボクなんかとは正反対の”体育会系”であること。
そして、ただタフなだけでなく、キツい状況すらも必要悪ではなくて、必要なこととみなしていること。
ブラックな環境の中に身を浸す中で、「本質とは何か?」という点を諦めずに問い続け、行動できていること。
いやはや、別次元すぎて何も言えません。
ブラック企業の定義とは何だろう
ただ、頭の中でなかなか消えなかった問いが「ブラック企業の定義とは何だろう」ということでした。
一般的に言えば、長時間労働で、かつ人間環境や給料が悪いといったことがイメージしやすい点ですよね。
じゃあ、とここで自分を振り返ってみると、今のボクは会社を辞めて、でもだからといってのんびりしているわけではなく、ほぼ遊ばずに営業したり、コード書いたり、クライアントからの相談乗ったりとしているわけで。クライアントだって優しい人ばかりじゃなくて、無理を言う人もいる。労働時間で言うと、余裕で毎日10時間を超えています。しかも、最初に言ったように夜は眠れないし、だからと言って深夜手当なんてもちろんない。給料は前職の1/3になったしね。
ここまで見れば、ブラック企業ではないけれど、労働環境ブラックな要素は多いと思う。じゃあそんな環境に絶望している、被害者意識があるかと言われると全くそんなことはないわけで。むしろ、何が大事で、何を優先して、何がやりたいか、といった意思決定の全般を自分でできるし、その先どんな将来が待っているか想像することは楽しい。つまり、ブラックな環境ではあるけれど、満足度が高いのだ。
つまるところ、ブラック企業というのは仕事がうまくいかないこと、不満の吐け口として利用されているにすぎないんじゃないか。確かにボクも新卒の時点では嫌な仕事もお金稼ぐためだから、無理してでも頑張らなくちゃ、我慢しなくちゃいけないんだ。という意識が強かった。要は生きるための必要悪の印象しかなかった。
今の仕事を選んで、そして今も続けることを決めているのは誰だろう。
でも実際には、ボクらには仕事を選ぶ権利があって、辞める権利もある。インターネットを使えば何万と募集事項が出てくる。ただ、何にもスキルがないと、結局同じような時間と給与と権限の仕事ばかりで溢れかえっているように見えてしまう。
ボクらみたいな一般人が優位性を持つためには、確かに何かのスキルを磨くというのは一つの手だ。でも、それ以上に誰にでもマネできることとして、とにかく他者より作業時間量で圧倒するということが手っ取り早い気がしていて。
それは時間でいえばセルフブラック化とも言える行為だけれど、将来を見越すと逆のホワイトであると確信しているわけで。自分が望む成長のために必要なブラックな環境を選ぶことは間違いじゃない、むしろ正しい。ただ、望まないのに選んでしまった場合、会社は一気にブラック企業に見えてしまう。
僕らが自分を被害者にしてしまったとき、会社はいつでもブラック企業になるということでした。